脳内散歩道

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審神者、極修行に出る。~内観体験レポート~

 

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審神者と言ったりこんな画像貼ったりしてますが刀剣乱舞の話は一切関係のない記事ですごめんね。私は初期刀まんばちゃんで薬研くんや鶴丸さんなどが好き。

 

これは先日、「内観」というものを体験してきた、どこにでもいる「世の中生き難いんですが……」という感情を抱えている人間のレポです。極だの修行だの言ってるのは、この「内観」が「己を見つめ直す」的なもので、ふと「これってなんか極修行ぽいのでは?」と思ったから、まあ私には逸話とかないけれども。

あらかじめ。この記事には「内観みんなもしよう!!」っていう啓発の意図は全くありません。一個人の偏った感想なので苦情も知らんがなです。よろしく。

 

 

 

<そもそも内観ってなに?>

 いやそもそも「内観」って聞いたことないんだが?って人が多いと思う(私も知らんかった)ので説明。まあwikiさんとかの方がわかりやすいよ。

この記事内での「内観」は「内観療法」のことを指します。

これは日本生まれの心理療法で、1週間ほど世間との関わりを絶ち、親など身近な人間に対し「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つの観点で幼少期から現在までの自分を順番に思い出しながら自己を見つめ直します。そして1時間に一回程度、話を聞く方が現れてその方に考えていたことを話す。それを朝から夜まで永遠と繰り返す。……ここまで読んで「エッ新興宗教?」って思った方がいてもおかしくないとも思うんですがちゃんと臨床心理士会のホームページにも記載があるようなやつなので安心してほしい(?)。

 

<なんで内観してきたの?>

私は不登校経験ありで、大学受験に失敗したあと何もせずにいた(これに関しては家庭事情とか色々言いたいこともあるんだけれど)期間もある、社会不適合と言われても仕方のない人間です。それでもなんとか資格を取って就職したのですが、それも様々な要因が重なって精神不安定になってしまい1年持たずに休職することになってしまいました。

これからどうしたらいいのか、やめるべきか続けるべきか、どうやったら、どんな環境なら、自分は長く働けるんだろう……。そんな悩みを抱えて色んな方に相談をしていたら、ある方に「甘え」「言い訳」「そのままじゃいずれ誰からも見捨てられる」といったようなことを言われて。

こっちはこっちなりに悩んで考えをまとめるために吐き出してるのになんでそんな切り捨てるん???とめちゃくちゃ悲しくなりつつも、その人に勧められて某県の内観研修所に1週間お邪魔することに。(ちなみにこの時点で仕事はやめざるを得なくなっていたりもする。)行くか否かもめっちゃ悩んだけど他の方にも相談にのってもらって最終的には自分で決めました。

 

<内観前半>

私のお邪魔した研修所は日曜日から7泊8日日程で内観を行うところでした。初日の午後に建物に入り説明を受けると8畳の和室に通されます。ここが1週間たった1人で過ごす部屋です。部屋の角に屏風を立てた半畳ほどのスペースがあり、そこに座って内観をするように言われました。

スマホは勿論没収だよ!読書も絵を描くことも禁止!!鼻歌も禁止だから!!!廊下で他の内観者と会っても会話(挨拶含)も禁止だよ!!!!そんな時間は自分を見つめ直すのに使ってね!!!!!

……いや、気が狂うわ!!!令和を生きる現代人にはしんどすぎるわ。

 

帰りたくなったら帰っていいよとも言われたけど自分でやると言った手前帰れないなあ……と思いながらまずは母に対する幼少期の自分から振り返っていきます。

やっていて思ったのは、「私は母に色んなことをしてもらったし迷惑もかけているけれど、返せたことは少ないな」ということです。感謝をしなければならないな、と思いました。これを父やその他家族などにもやっていきます。思い出す作業は疲れますし、過去の感情に飲み込まれて涙が出ることも多かったです。

ただ正直、数時間に一回は雑念が生まれる。

 

ここで私の雑念一覧↓

・音楽聴きたい・誰かと連絡したい・本読みたい・つらい・しんどい・なにわちゃん新しい仕事決まってないかなあ・ていうかデビューしてくれないかなあ・スタマイのイベ最後までストーリー読みたかったなあ・A3のアニメ先行上映どうだったかなあ・二次小説が書きたい・ネタが降って来た・メモできないやんけ!!!・つらい・おうちかえりたい・なんかこれ極修行ぽいな?・これで何も見つからなかったらマジでネタにするしかねえな……etc

 

正直雑念は最終日まで続いたのですが初期の頻度はすごく多かったし、真面目に内観してる時間は苦しいししんどいし、正直しにたくなったし面接のときにも言った。

そのなかでも何よりつらかったのが食事のたびに渡される音源でした。その中に内観面接をしている様子のものがあるのですが、まあ皆様色んなものを抱えていらっしゃるので内容が重い。自分のことどころじゃなくなってしまうレベル。それをお伝えしたら無理してまで最後まで聞かなくても良いと言われたので、それに従いました。もしかしたら最後まで聞けたもののほうが少なかったかも。

 

4日目まではそんな感じで、何度も何度も内観を繰り返して泣いて。これに意味なんてあるのかな、と思っていました。あと緊張のせいか眠りが浅く体調不良でした。

 

<気づき>

5日目のお昼(だったと思う)、やっとひとつ自分の思考パターンのようなものを見つけることができました。

そのときに聴いた音源はそこまでしんどくない、記憶の理論みたいなやつだったんですけれど。そのときにふと、親でもなければ関わりも深いわけではなかった親戚の人に昔言われた言葉を思い出して。そこから自分は「認められたい」「理解されたい」という気持ちが強いのでは、ということに気づいたのです。

母への感情にも父への感情にも、祖父母、友人や職場関係などの他者にもその傾向が強かったのかもしれない。一方、認められるような、理解されるような、そういう人間であれない自分に対して他でもない自分自身が許せず、そこから感情コントロールが上手くいかなくなるのかも……。

と、ここまで気づいたものの、じゃあどうすればいいの?と頭を抱える。変えれば良いっていっても、そんな簡単に変われそうにないんだもの。

 

<内観後半>

ひとつ気づきを得た安心感もあって、今度は今までの緊張ではなく寂しさとの戦いになりました。多分ホームシック。内観しててもずっと寂しくて、親や友人の声が聞きたくて。内観面接のスタッフさんがなかなか来ないとそれも寂しくて。帰りたい、でもあと少しだし……と必死。1度完全に集中力がきれてうっすらとしか物事を思い出せず、やんわり咎められたりもしました。

ただ、気づきを得たぶん、最初の内容よりはわりと感情がはっきりしていました。「こういうときに迷惑をかけて、当時の自分はこのように考えていたけれど、母の気持ちはこうだったかもしれない。」みたいな感じで。これが“見つめ直す”ってことなんだろうな、と思いました。

最後の朝、面接スタッフさんとお話をして全日程終了。しんどい1週間が終わりましたが、しかし内観は日々続けることに意味があるとのことなので、ある意味これからも修行は続くのかもしれません。

 

<内観を終えてどう?>

大変貴重な1週間でしたが、正直に言えば「この1週間で辿り着いてほしいと思われているラインには到達してないな」と思います。というのも、内観期間中に聴いたしんどい音源の中の人たちがよく話していた「愛されているから何でもできる」を納得できなかったから。

確かに私は家族に愛されて五体満足の身体を与えられて幸せなのだろうと思います。

一方で近年起きたひとつの家庭内の事件について、その中心である母のことも、それに対する自分も、そのときその後のすべての周囲も、全部許せないし消化できない。「どんなに愛してくれていたってあの人は……」という気持ちになってしまう。これが消化できたとき、私はやっと「内観」できたといえるのかもしれないですが、今のところそんな日がくるのかなっていう気持ちのほうが大きいです。

……まあつまり、極めきれませんでしたってことなんですかね!!!でもひとつ気づきがあったのはこの1週間の収穫かな。

 

 

普通にしていたらできなかった経験をできたのは良かったし、機会をいただけてよかったなと思います。これからに……活かせるかな。活きたらいいなとは思ってます。

とりあえず、次の仕事を探さなきゃ。……しんどい!!!!!

 

おわり